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2009年 01月 20日

人の業

今更ですが、1/17で震災から14年が経ちました。
当時はインターネットも普及していなかったのですが、youtubeで当時の報道映像を見ていろいろと考えてしまいました。

以下気分の悪くなるかもしれない文章。




今から振り返ってみれば阪神・淡路大震災は小学5年生だった私にとって人の業(ごう)が見えた出来事だったと思う。
私の住む場所では比較的被害が少なかった。水道以外のライフラインはすぐに回復したし、当日中に電車も動いていた。火曜日だったと思うが平日だったので朝8時頃になって近くの小学校に登校する生徒がいるぐらいだったし、もし学校が家から遠ければ私も登校して、門の前の「臨時休校」の張り紙を見てからまた家に帰っていっただろう。
もちろん後にテレビやラジオに新聞、それから実際に肉眼で被害の甚大さを見ることになる。
被害の大きさは今さら言うまでもないが、しかしこの出来事で何より嫌った(嫌いになった)のは人間だったと思う。

直後の混乱がおさまって少し落ち着くと、小学生から見てもあきらかに流行っていなさそうな歌い手や聞いたこともないようなアマチュアのコンサートがたくさん開かれた。しかし申し訳ないがそれらは地震がなければコンサートを開くことが出来ないだろうと思われるレベルだった。それは小学生でもわかる程度に。
当時はなんとなくいやな感じがしていたが、今の知能と当時よりは増えたであろう語彙が備わっていれば、それらを「地震大好きコンサート」とでも呼んで軽蔑したと思う。あるいは「コンサート」を呼称することすら嫌ったかもしれない。
後日改めて新聞などを読むとすばらしいと思われるものもあったのだが、残念ながら私はそれに遭遇することは出来なかった。
本当に残念だと思う。というのは私はこのときに音楽に対して不信感を持ったからだ。

もっと生きたかったのに亡くなってしまった人がたくさんいる。やりたいことがたくさんあったのに、何もせず亡くなってしまった人がたくさんいる。まだ純粋だったと思われる子供の私はそう感じ取った。
私は自分のするべきことを考えたり探したりして、それを遂行するべきだろう、と考えるようになったのが地震の前後での思考の違いだろう。
私は自分のするべきことを、しっかりとやっていくことが、生きていくことだと思った。

だからこそ、はっきり言って私のいた小学校の音楽会(音楽の先生が力を入れていた。余談だが後にこの先生は学校を退職されて、その後偶然にも私のバイオリンの先生となる。)よりもひどいと思うようなコンサートが次々と開催されていくのが腹立たしかった。コンサート(と呼びたくもないような雑音)を家をなくしたり突如孤独になったかもしれない人に聞かせるなんて。それも避難所などで開催するから半ば強制的に。
音楽のすばらしさを一番伝えなくてはいけない場面でこんなコンサートを開こうとする神経が理解できなかったし、なによりも音楽に対しても被災者に対してもものすごく失礼だと思った。

その話を他人にすると、せっかく親切で来てもらっているのにおまえは失礼なやつだ、と言われた。私は愕然とした。

私が疑問に思ったことをそれなりに解析し、なぜそのように思ったのかをそれなりに論理的に導出し、その行為がいかに非礼なことかをそれなりに理路整然と説明したにもかかわらず、私の説明を検証することも再考することもなく非難されるとは。
そもそも親切とはそんなことだろうか。地震がなければ開かれなかっただろうと子供でもわかるようなレベルのコンサートを被災地で開催することが親切なことだろうか。

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「親切」で思い出したのは、2009年元日に放送された年の初めはさだまさし。確か中学生の時にどうしても長崎に帰りたくて無賃乗車をしてしまい、嘘ついて他人から汽車賃を立て替えてもらった上に、道中の食事や長崎の電車賃を渡してくれた話でした。
嘘をついた申し訳なさとその人の心遣いに夜になって列車の席で泣いたという経験のお話でした。親切とはどういうことか、その立て替えてくれた人が大学生だったということが時代の厚みと思う、という内容だったと記憶しています。
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私はそのときに音楽が嫌いになったのではないと理解した。私はその音楽をしている(「音楽」と書きたくもないが)人間が嫌いだったのだ。
それは引き金だったかもしれないし、もともとそういう素地があったのかもしれないが、その後愕然とした後、思考しない人が嫌いになった。
似たようなエピソードは他にもたくさんあって、地震大好き展覧会とか、乾電池やカップ麺を平気で2倍程度の価格で売るコンビニとか、いち早く自社の線路を復旧させたら他社の定期では乗れなくしたJR西日本とか、何度かけてもつながらないのに怒って公衆電話を壊していく人とか。
その後、人格形成に最も重要な時期だったと思われる中学高校をどうしようもない学校で過ごしたこともあって、結果的に私は他人を信頼しなくなったのだろうと思う。たぶんこれは今でも変わっていないような気がする。

念のためだが、コンサートにしろ展覧会にしろ、小売店でも公共機関でも、人間でも、すばらしいものはあったはずだと思うし、思いたい。実際に私も小学校で炊き出しをもらった。すばらしいコンサートも炊き出しも人の業(わざ)だろう。
後に各地で地震や災害が起きたが、ボランティアの人は尊敬するし、格好いいなあと思えるようになった。それは私の中の確実な変化だと思う。



14年経った。神戸は地震でそれこそ私の住むところとは比べものにならないほどの被害を受けたが、都市としての機能はほぼ復興したというより少なくとも交通機能はむしろ進化したと言ってもいいと思っている。震災直後20年はかかると言われた復興がこれほどのペースになるとは思わなかった。
それに神戸は特別好きというわけではないが美しい街だと今でも思っている。

では人間はどうなったのだろうか。
私はたぶんこれからも人を信用しないのだろう。申し訳ないがどちらかと言えばより信用しなくなった。これを覆すにはまだ長い時間かなにかよほどの出来事が必要だろう。
14年の歳月をもってしても人間の進化は難しいようだ。自他共に。

それでも、親切とか、やるべきこととか、信頼とか、他人に期待しようとすることは愚かなことだろうか。


その時代がどんな時代だったのかはおそらく後になってからしかわからないと思う。
もし時代の厚み、なるものが存在するならば、それは考えるところから始まるのではないかと思ったから。
いい人になろうとは思わない。
だが、親切とはどういうことなのか、もう一度考えてみたいと思った。


※おことわり: 本文中に大西弘幸氏の美術論集を参考にして記述した箇所があります。大西氏(=我が師匠)に敬意を表すとともに、ここにおことわりいたします。

by coffeehot | 2009-01-20 05:25 | 書きもの


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